週末ファーマーによる自然農の野菜栽培

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自然農の野菜づくり

第1章 生命の営みをつなぐ自然農の要諦(畑の準備をする、野菜を切らさない作付けの工夫 ほか)
第2章 自然農の野菜・つくり方のポイント
第3章 自然農の野菜などの加工・保存の工夫


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 川口由一氏の提唱する"自然農"を理想として、耕起せず、肥料はやらず、雑草は抜かず、害虫をも防除しない(化学農薬も自然農薬も不使用)で、野菜を育てることを目指しています。多種類の豊富な動植物と共存する生物多様性を実現する家庭菜園にするべく、群馬県西部で週末に農作業をしています。ビニールのマルチやトンネルなどの非再生資材は使わず、農業機械も使わずエコロジーです。ただ、地力不足なので、有機質肥料を少し与えることもあります。


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福岡正信氏の本「自然農法 わら一本の革命」など
 自然農法の大家、福岡正信の思想は素晴らしいと感じる。しかし、著書や体験者の話を読むと福岡氏の自然農法は、実際にはどうであったのかという疑問を感じざるを得ない。福岡氏の米麦連続直播栽培は、私が調べた限りでは、他の人が成功したという例はなく、逆に失敗例ばかりであった。初期の水管理では、雑草を死滅させつつ、稲の芽を伸ばすという極めて難しいことをしなければならないから、そう簡単にはできないのだ。

略歴 福岡正信(ふくおかまさのぶ 1913年2月2日 - 2008年8月16日)
1913年 愛媛県伊予市大平に生まれる
1934年 横浜税関植物検査課に勤務
1937年 急性肺炎により入院し、退院したものの精神的に不安定となる。そして5月15日、一晩さ迷い歩いて疲れた朝に、ゴイサギの羽ばたく音で「この世には何もない」と悟る。退職して、関西、九州を放浪し、道行く人に一切無用論を説くが相手にされなかった。(わら一本の革命では"25歳の春"とあるが、数え年か)
1937年 "人間は何にもしなくていい"という考え方を百姓をして実証するため、実家にて自然農法を始める。しかし、放任したため、ミカンの木を枯らしてしまう。
1939年 高知県農業試験場に勤務。松原の中でこぼれ種から発芽した稲を見て自然播種のヒントを得た(キリストの言葉では、自然は種を播かずして種を播く)。
1947年 実家に帰り、自然農法一筋に研究を開始。
1962年 農業及園芸誌に「米麦直播栽培の実際」を発表(不耕起ではあったが、播種のための浅耕起、農薬使用、木くずや鶏糞の施肥をしていたようである。福岡氏は、この時の米麦連続直播法を、科学農法を表面にし自然農法を内に秘めた型でうち出したと言っている)
1965年 現代農業誌に「不耕起直播で五石どり」を発表(播種は福岡氏考案の円盤型直播機を使う。播種前に1回除草剤処理、分けつ期にスタム乳剤)
1969年 「無」を自費出版
1972年 「緑の哲学 - 自然農法の理論と実験」を自費出版
1975年 「自然農法・わら一本の革命」を柏樹社から出版

自然農法 わら一本の革命 福岡正信 著

 柏樹社から1975年に初回出版。以後何回も出版され、1983年に新版、2004年にも再版されている自然農法のベストセラー。

 哲学ともいえる自然農法。示唆に富む。わらには、イモチ病菌や菌核菌の寄生やメイ虫が潜入しているので、当時は、わら一本でも田に残しておかなかった。そんな時代に、わらをそのまま田にふりまくという、まさに革命的な農法であった。本書を読む人は、どんな農法であるか具体的に知りたいとまずは思うであろうが、人知を否定する思想、第4〜5章の哲学を知った上で読み進めたほうがいいと私は思う。

 序文(序文は初版にはなく新版に記載されている)の一節に
自然農法とは
 自然農法という言葉も、当時、何気なくみたバイブルの中の一節「小鳥は、種を蒔かず、ただついばむのみ、何故人間のみが悩むか・・・」という言葉から、自然に頭に浮かんだにすぎない。したがって、自然農法はキリストが着想し、ガンジーが実践した農法とみてよい。真理は一つである。無の哲学に立脚するこの農法の最終目標が、絶対真理"空観くうがん"にあり、神への奉仕にあることはいうまでもない。
バイブルの一節とは、マタイ福音書6章25〜28節
 だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
のことであろう。自然≒神は、何もしない鳥や野の花を養ってくれ、人も悩まなくてもよいと言うのだ。なお、神という言葉は、著書の中で頻繁に語られているが、どの宗教にも区別を付けずに接しているだけであり、彼自身はどの宗教にも属していないと書いている。

本書は矛盾が多いという批判がウェブ上にあったので、私も疑問に感じることをまとめた。

鶏糞の使用について
・稲の籾種を粘土団子にして播いておきます。そのあとで乾燥鶏糞をアール当たり二十〜四十キログラム散布しておけば、種播きは終わりです。
・クローバーの繁茂が激しくて、稲苗が負けるときは、四、五日か一週間、田に水を溜めて、クローバーの生育を抑圧します。元肥の鶏糞は麦の時と同じです。(p.45)
とある。現在の日本の基準でいえば乾燥鶏糞は特殊肥料に分類される肥料である。しかし、わら一本の革命から10年後に出版された「」では、施肥について次のように述べている「痩薄地や自然農法の初期は多収穫を目指す場合は、麦藁を被覆する前か後に、乾燥鶏糞二○○〜四○○キロを散布しておけばよいが、稚苗のときは生糞は害があるから注意する必要がある。追肥はふつう施す必要がないが、幼穂期(出穂二十四日前)に一○○〜二○○キロの鶏糞を施してもよい。もちろん腐熟した糞尿や堆厩肥でもよく、木灰なども施してよい。一○アール五○○キロ〜一トンの収量目標の普通田は何も使わないでよい。しかし、自然農法の立場から言うと、人為的に鶏糞などを施すより、稲苗が成苗になったころ、田にアヒルの雛を一○アール一○羽ほど放し飼いにするほうがよい(p.287-288)」、「25年間の米麦連続不耕起直播やアヒルの放し飼いによる鶏糞施用のみで、金肥をつかったことがない(p.417)」とある。つまり、乾燥鶏糞の使用は、一般農家向けの説明であったとも考えられるが、しかし、アヒルの話はわら一本の革命にはなく、無靴砲覆辰峠个討ることを考えれば、わら一本を出版してから後になってアヒルを導入し、乾燥鶏糞が不要となったのではなかろうか。アヒルの放し飼いによる鶏糞とあるが、放し飼いにより乾燥鶏糞を多量に確保できたとは考えにくい。このような分かりにくさが批判につながるのかもしれない。

 雑草対策として(p.54)で、「雑草に困り一時、石灰窒素を朝露のある間に散布して雑草を枯らしておいてから、麦や籾を播いたりもしましたが、石灰窒素や除草剤を廃止するのにも難儀をしました」とある。一時とは何年間であるのか、またいつから除草剤を止めたかはっきりと書かないから、本当に30数年間も除草剤を使っていないのかという疑問を持たれるのであろう。
 なお、石灰窒素とは、化学合成により作られ、肥料や農薬として使われるものである。石灰窒素を施用すると、土中の水分と反応してシアナミドを生じ、シアナミドの毒性により植物が枯れ、線虫類も死ぬ。7〜10日後にシアナミドは分解されてアンモニア性チッソに変化し肥効を表す。残留毒性はない。

 「わら一本からの革命、クローバー革命というのは、雑草対策から出発するともいえます。緑肥田に生わらと鶏糞をまいて湛水すると、酸酵現象がおこり、若い雑草を枯らし、夏草の発生をぴたりとおさえます。科学的除草剤にかわる自然科学的除草になっているのです。(p.61)」すなわち酸酵現象での除草方法は基本技術であるのに、最初のほうの説明「米と麦の作りかた(p.44-46)」のところには書かかれておらず、あとで補足的に書くから、分かりにくくなるのであろう。

 次に、ミカン栽培での肥料、剪定、消毒であるが、本書を読んだだけではよく分からない。「もちろん一年中、耕すことは無く、化学肥料は施さず、無剪定で、無消毒を原則としてきました(p.75)」と出だしにあるのだが、「化学肥料は施さず」とあり、なぜ化学という言葉を付けたのか、またなぜ「原則」なのであろうか。
 「農大出の息子に新園の経営をまかせた当時、息子は一時、化学肥料も農薬も使いましたが、次第に鶏糞や厩肥主体の施肥法、農薬もマシン油と硫黄合剤ぐらいの無公害薬品の散布にとどめるようになってきました(p.76)」。マシン油と硫黄合剤は、現在の有機JAS規格でも使用できるので無公害と言えようが、子息がマシン油を使っているが、では正信氏本人は別のミカン園で無農薬にしているのかという疑問がわいてしまう。しかし、無靴任篭畴は完全無農薬だと書いている(三十年前、冬季防寒剤用のマシン油乳剤を一度用いたり、夏の幼虫期にダニの駆除をかね石灰硫黄合剤を散布したこともあるが、多少の外観の不良を気にしなければ、完全無消毒にもってゆけるものである。近年はすべて完全無農薬でいるp.327)。わら一本の革命でも、息子のせいにせずに無靴里茲Δ暴颪韻于燭を隠しているかのような印象を持たれることは少なかったであろう。
 「自然型に近づけるような整枝だけには注意しています(p.76)」とあるが、整枝は剪定ではないのかという疑問。自然型の樹形とは主幹型のことで無剪定にしておけるというが、苗の枝先をちょっと切っただけでも自然型ではなくなってしまう、初めからそっくり育っているものでなくてはならない、とあり具体的にはよく分からなかったが、無靴望椶靴書いてあった。無剪定にするために、自然形になるように幼苗期から剪定すれば、成木になってもだんだん剪定量が少なくなるということのようだ。無剪定という理想を掲げてばかりいるが、実態はどうであるのかはっきりと書いてもらいたいものだ。

粘土団子
 「この頃は横着になり、播種機も使わず、粘土団子をばらまくだけですますようになりました。(p.65)」とあり、粘土団子の使用は横着を理由にしている。ところが、「不耕起の方がその点安全ですが、反面、雀や鼠、ケラ、ナメクジに芽を食われて難儀します。粘土団子の種播きが一つの解決の方法になったのです(p.53)」とあり、粘土団子は単なる横着ではないのだ。後に書かれた無靴任蓮◆崘甘效鳥卩鼎をして自然農法が確立されたのである」とあり、非常に重要な技術であることが分かる。

 人智を否定しているのであるが、福岡氏の「知」は難しい。「人知が不可知の知であることを知れば、分別知がいやになるはずである。分別を放棄すれば、無分別の知が自ら湧く。知ろう、わかろうなどと考えなければわかるときがくる(p.159)」
 福岡氏は、無分別の知を真の自然としているのだが、果たして人間が区別できるのか、知を分けることは分別ではないのか、哲学的問題によって福岡氏の自然農法を理解することは難しい。「人間の智恵は、真の絶対的認識にならず、自然の実相も把握できないで、虚相の自然をつかまえて自然と錯覚してしまう智恵であるから、その智恵は、永遠に不完全な不自然な智恵という運命を免れることができない。ただ人間を昏迷の無間地獄に陥れるだけである。私が無分別の智を愛し、分別の智恵を憎むのはそのためである。私は無分別の智恵で認識された自然を真の自然とし、人間の創造した分別智による自然を虚像の自然として明確に区別し否定する。この虚像の自然、不自然なもの一切を排除することによって、この世の一切の混乱の根源が除去されると考えているわけである。(p.202)」

結局のところ、わら一本の革命では、自然農法についての説明はあいまい過ぎるのであって、無靴鯑匹泙佑个覆蕕覆ぁわら一本の革命の当時は、まだ大きな失敗をすることもあったようであり、理論はできたが、まだいろいろと難しかったのであろう。
[2010.3記]

●初版(1975年)と新版(1983年)の比較(ざっと見ただけです)
新版で追加された項目 ページ数
・序にかえて 3ページ
・自然農法とは 1ページ
・第四章 京の夢 5ページ
・第四章 葦の髄から天のぞく 5ページ
・追章 34ページ
・お願い 3ページ

写真は全て変更されている(新版でのページ、新版での説明文、初版での説明文)
・5 この麦を見よ / 自然農園の麦田の中に立つ筆者
・6 たわわに稔る自然農園の稲田 / 巨大な穂をつけて、たわわに稔る自然農園の稲田
・79 自然農園のみかん山 / 自然型のミカンの木が並ぶ果樹園
(以降はチェックしなかった)

文章も変更されている部分があるようだ(新版でのページ)
・発芽の問題 何百年も前から〜(p.53) 数行変更
・肥料の問題は、(p.55) 数行変更
・緑肥草生が現在の自然農法の基本パターンになっています(p.55)←緑肥草生の現在のパターンを科学農法を表面にし、自然農法を内に秘めた型で、うち出したのです。
・十年前頃のこと(p.56) ← 五〜六年前のことでしたか、
・その時の私の話は(p.56) 数行変更
・完全無肥料でゆけますが、僅かな失敗が大きな失敗になることもあり、自然農法は、きびしい農法でもあります。(p.57) ← 完全無肥料でゆけると思っております。
・北の国で冬作をしない所〜(p.61) 3行追加
・わらは長いままでいいんだ、と鳥取農林(p.63) 数行変更
・三十年間鋤いていなくて(p.64) ← 二十年間すいていなくて
・イネのイラストが異なり、イネの形の印象が異なる(p.72)
・この数年、新しい品種を使って(p.73) ← この数年、古い品種(南方系のもち?)をつかって
・雑草が再び生えだしたら、新しい種か野菜まぜ播きをします。(p.83) ← 雑草が再び生えだしたら、新しい種を播きます。
・結局自然農法の〜(p.83) 2行追加
(以降はチェックしなかった)

無 自然農法


福岡正信 著、1985年初版 2004年新版

 「わら一本の革命」の10年後に出版された。自然農法の説明は、より詳しくなっており、米麦と果樹に加えて、野菜の説明もある。

 よく言われることだが、水田に生える雑草は抜いていた。6ページの写真の題は、「8月 拾い草」となっており、1人の青年が抜いた草を手に持っている姿があり、もう2人も腰をかがめて作業している。(実用的には無除草と言っても差し支えないという福岡氏の判断なのだろう)

 わら一本の革命では書かれていない粘土団子の開発経過は、「冬のネズミなどの害を防ぐため、籾種に塗布する長期保護剤を開発して、越年稲を作ることにようやく成功したのは十数年もあとのことであった。さらにその保護剤を無用にすることを考えて、ようやく現在のような粘土団子播きをして自然農法が確立されたのである(p.250)」とある。長期保護剤とは農薬「ヘプター粉剤と水銀剤を粉衣せねばならない(現在は土団子)。(p.262)」のことである。
[2010.2記]

自然に還る


自然に還る 福岡正信 著、1984年初版、1993年増補新装版、2004年新版

1984年の初版を読んだ。難しいので斜め読みをしただけだが、気になった箇所と感想を書いておく。

・「稲田で働く著書」という写真では、出穂した稲の中で、手に雑草らしき束を握った福岡氏の姿が写っている(p.84)
 このように除草している姿の写真があるのに、なぜ除草していると書かないのだろうか。

・「ただ有機物をやれというだけだったら、昔の原始農法に帰るだけなのです。(中略)ワラ一本ふったということは、堆肥化無用論です。(中略)ワラとクローバーそういうものが大型のトラクター以上に土地の地力増強を果たしてくれている。だから、昔の原始農法ではない。耕さないという言葉だけにひっかかると原始農法に見えるが、大型機械よりも植物や動物を使った農業をしており、生物学的農法である(p.237)」
 弥生時代には穂だけ摘み取ったようだが、江戸時代にはワラは資源として利用されていた。いつから、ワラを持ち出すようになったのだろう。クローバーではなく、レンゲはいつから利用されていたのだろうか。

・「四十年前、一瞬頭にきらめいた思想、哲学の正しさを実証するために、自然農法を始めたわけです(p.241)」
 はっきりと思想・哲学を証明するためと書いている。つまびらかに栽培方法を書けば、何もしないとは言えなくなるのだろう。あれも、これも少しはしなければならないことはたくさんあるのではないかと思う。

・研修生をおかない、独りでと言われますが、秘密があるのでしょうか。公開はしないのですか。という質問に対して、「新品種で、緑肥の種類もかえ、面白い結果がでると思われるこの夏まで、そっとしておいて欲しいだけです。八月一ぱい公開し、十分検討して欲しいと思っています。(p.245)」
 誰でもそのような疑問を持つと私も思う。この本の1984年の10年も前から「何もしなくていい農法」と断言しているのに、まだ実験を続けていた。山小屋に来た人は実態を知っていなくなるのではなかろうかという気もする。また、意外に気難しい性格のようでもあるし。

・放任というのも自然に近いわけではないのですね。という質問に対して、「もちろんです。放任は、自然に一度人間の手が加えられたり、破壊された後で、人間が放りだした状態をさすわけです。したがって、本当の自然がわからないとなると、放置された自然が、自然の元の姿に還るものか逆に反自然の方向へますます遠ざかり、転落して行くのか、わからないということにもなるのです。(p.249)」
 普通の人は放置されたら自然に還ると考えるのだろうが、福岡氏の考えは独特だ。

・「ブッシュマンが、本当の原始生活をしていて、自然農法でもしていたら、もっと自然があるはずだと、私は思うんです。あれは、自然生活と言えるように見えて、自然生活ではない。背景になっている自然があまりにも貧相だから、むしろ不自然生活です。(p.278)」「自然ではない。不自然のなかで、苦労して生活しているだけのことでしょう。それは無能な、放任状態にすぎないので、自然の荒廃に身をまかせて、ボケているだけでしょう。(p.280)」「自然というものは、本来完璧で、最高の真・善・美と豊かさがあるんだということです。精神的にみても、物質的にみても、最高の豊かさが充満しているのが自然です。(p.281)」
 この部分を読んで、初めて福岡氏の言う自然の具体的な姿が思い浮かんだ。神の住む天国のような理想的な姿を無労働で実現するのが自然農法であるなら、いつまでも完成しないはずである。

福岡正信氏に言及している本など


町田武士著 やまずめぐる
 町田氏は、昭和48、49年に1年数カ月にわたって福岡自然農園で山小屋生活をしながら研修を受けた方である。当時、研修生は3-5人いたようである。以下に、福岡氏の著書とは違った印象を受ける箇所を列挙してみると、
・田んぼよりみかん園がかなり広い。夏場は、ほぼ一日中みかん園の草刈り。(p.39)
・田んぼでは草取りが多かった。大きな鎌でざっくりざっくり、草を刈っていく。これも楽な作業ではなかった。(p.40)
・やってみると、なかなか自然農法は難しく、そう簡単にはできることではないということがわかってきた。粘土団子はいい考えだったが、発芽できても、ナメクジやオケラがせっかくの芽を食べてしまうというようなことが起こる。無除草といっても、まったく草を取らないで放っておけば、田んぼは雑草だらけになって、稲は生育できない。実際、日本の各地から農家の人が、福岡さんのところへ実習に来たり見学に来たりするけれど、みんな大変だとわかって帰っていった。(p.56)

 私がわら一本の革命を読んで、まず最初に感じた疑問「なぜこんな素晴らしい農法が普及していないのか」、それは著書の内容と実際があまりにも違っていたのか。わら一本の革命には、ケラ、ナメクジに芽を食われて難儀するが粘土団子で解決したことになっていたが、よく考えてみれば粘土団子から発芽した芽はナメクジなどにとっては食べ放題だ。

自然農法私考 広江 美之助 著、1976年
 米麦直播法が5ページわたって紹介されている。栽培法の紹介では、福岡氏の言葉をそのまま記したような記述である。私が注目したのは、粘土団子が紹介されていないことと、「稲作の最も注意事項は灌漑方法である」と書かれていることである。
 「稲籾を蒔き、湛水するのは、まめ科の緑肥植物の死滅と、発芽をうながすために行うもので、一度湛水したならば、なるべく落水して、短く丈夫な稲を作るように努める。稲の前半はほとんど無潅水がよいが、普通は1〜10日間に1度の潅水をする程度でもよい。幼穂形成期の以降は、間断の灌漑を繰り返し、出穂後は土中水分が80〜100%ある様にする。落水期も遅れるほど、結実が良好である。この要領は、稲の根本のまめ科植物が、湛水で黄色になると、稲の根も根腐りを起し始めるから、その時に落水して健全な根を出させ、繁茂するようになると、再び湛水する。そうすると、根が腐ることなく、稲は最後まで健全な生育を行うのである。(p.169)」とある。わら一本の革命では、「クローバーの繁茂が激しくて、稲苗が負けるときは、四、五日か一週間、田に水を湛めて、クローバーの生育を抑圧します。六〜七月はあまり水をかけず、八月以降、時々走り水をかける無滞水(一週間に一度ぐらいの走り水でもよい)にして、稔りの秋を迎えるわけです(p.45)」と、さらりと述べられているだけの潅水方法だが、実は、根が腐る可能性もある重要なことだったのだ。
 「雑草は、特に発生の初期に観察して、種類によって適当の除草を行う」、これはわら一本の革命では除草について全く述べられていなかった。

牟田俊彦氏
 福岡県小郡市で福岡氏の米麦連続直播法を田んぼ3枚1.9ヘクタールで試みられた牟田俊彦氏が、新聞に紹介されていた。初年度は失敗し、2年目で60アールの田が単収4〜5俵とかなり苦労されていたので、現在の様子をネットで調べたが分からなかった。以下、要約すると、
 初年度は田3枚とも背丈ほどの雑草に覆われ、見事失敗。2年目も2枚は失敗したものの、60アールの1枚は雑草が生えずに稲は順調に生育したクローバーで雑草を抑えつつ芽を出した水稲を伸ばしていく初期の水管理が難しく、7回まき直したので、粘土団子の種は7月26日に播いたもの。遅い種まきとなったので、単収はせいぜい4〜5俵の見込み。水稲が発芽後1.5葉になったところで湛水して繁茂したクローバーの地上部を枯らせ、どろどろの"あく"状の膜として田を覆う。この膜の濃度を保つことが重要、わらで二層の膜になることも効果をもたらす。(日本農業新聞九州版1990/10/17)



福岡正信氏の長男の福岡雅人氏は、父の残したミカン園、福岡自然農園(旧名:大平自然農園)で自然農法によりミカン栽培をされている。

参考)
師の師、まほろば農園
2004年11月福岡自然農園(愛媛県)産地訪問交流、エスコープ大阪:麦播種後に稲わらをふる様子、ミカンの木の間で育つダイコンなどの写真

福岡氏に影響を受けて農業をされている方
・菜月自然農園
 福岡正信の「自然農法・無」」を読んだ翌日「農業する」と宣言した和田雅美さん。不耕起草生栽培。おからと米ぬかを発酵させたボカシ肥料


→ 自然農法 関連の本
2010.03.09 Tuesday | その他 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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